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2008年1月アーカイブ


先日、コーチをやらせてもらっているサッカー少年団の父兄数人で飲みに行きました。ほとんどの方はこれまでサッカーをやっていなかった方でしたが、別のスポーツで指導経験があったり、コーチの私よりも熱心に毎回グランドに見に来ている方ばかりでみなさん子供たちを良く見ていらっしゃいます。おかげでとっても有意義なお話を聞くことができました。

さてそんな中ではよく「息子に○○のような選手になってほしい」とか「うちの息子は△△選手が大好きだ」という話になるのですが、正直言って私は最近のゲームはあまり熱心に観るほうではありません。なので実は話しに出てくる選手を良く知らないこともあったりします。(ゴメンナサイ)


でももちろん昔は私にも熱く憧れた選手はいたのです。
私の時代だと世界クラスのサッカーを見れる機会は今ほど多くなく、唯一「ダイヤモンドサッカー」という週一回の番組だけ。しかも一回の放送は前半だけで、後半は次週放送という具合。それでも毎週繰り広げられるサッカーは別世界の出来事のようで、夢物語に近い世界でした。
そんな子供の頃のサッカー界は、西ドイツワールドカップでベッケンバウアー率いる西ドイツがオランダを破って優勝。ペレがNYコスモスに移籍、そして引退。奥寺が1FCケルンに移籍、などの出来事があった頃です。
そして当時あこがれていた選手たちといえば

・・・

■ 奥寺康彦
移籍が決まった時は、「テレビの向こうの別世界に行くんだ、ダイヤモンドサッカーの画面に日本人が出るんだ」と感じたのを思い出す。
で、私の小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢というのが「1FCケルンに入ってブンデスリーガで優勝する」というものだった。そして当時はいていたスパイクも「バイスバイラー・コーチ」(奥寺をスカウトした名監督)。
あまり意識はしなくとも確実に影響を受けていたようだ。

■ ベッケンバウアー
長身でグランドにビシッと立ってチームメイトに指示を与える姿はまさに「皇帝」。普段はバックラインでボーっとしている感じ(シツレイ)でも、ここぞというチャンスには相手ゴール前まで駆け上がったり切れのあるドリブルで攻撃参加。あまり言われることはないが、テクニックは歴代スター選手の中でも高い方だとおもう。

そしてこの時代の西ドイツ代表のチームにいた「フォクツ」は74年WCでクライフを完全に封じた。あのしつこさ、ずるさは、現代でも充分参考になる。
同じチームで忘れてはならない「ゲルト・ミュラー」。決して器用ではないが、なぜか不思議とゴールを決める。「爆撃機」という異名までついたアグレッシブさこそ、決定力不足といわれる今の日本に見習ってほしい。
「ゼップ・マイヤー」「オベラート」「ブライトナー」・・・
あの頃の西ドイツ代表チームは珠玉のスターばかり。
今思い出しても心が震えてくる。

■ ヨハン・クライフ
その西ドイツが優勝した74年ワールドカップのもう一人の立役者。別名「フライング・ダッチマン」
トータル・フットボールという概念を実現させた男。
フィールドプレイヤー全てが自由にポジションチェンジし、全員攻撃・全員守備をしながらスペースをを作り・スペースを使うという概念は、現代サッカーの基礎を作ったと言える。
オレンジのユニフォームに身を包み、クライフは3人くらいいるんじゃないかと思わせるくらい神出鬼没に走り回り、空を飛んでシュートを打つ。

クライフターンというフェイントを初めて見た時は衝撃的で、子供ながらに必死に練習したおかげで今でも得意技だったりする。
意味のよくわからない格言は「クライフ語録」として有名だが、今でも子供たちに教える上で参考にしているのをいくつか。

・「ボールを回せ、ボールは疲れない」
・「ワンタッチこそ最高の技術だ」
・「まずボールをコントロールする、それがすべての基盤だ。もしボールをコントロールできないならボールを追って走る事になる。それは別のスポーツだ」

まちがいなく史上最高のプレイヤーの一人である。

# 実はレッズの監督に来てほしいナンバーワンだったりもする。

■ ペレ
何もいうことはありません。神様です。
12歳の時に父と観にいった「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」では泣きました。

・・・

子供の頃の夢や憧れは、大人になっても色あせることはない。
今私が一緒にサッカーをやっている子供たちも、ロナウジーニョやカカやルーニーに対して同じような夢や憧れを抱きながらそのプレーを見つめているのだろう。
願わくばその中の一人でも、夢を実現させてほしいものである。
そしてもし夢が叶わなくとも、苦楽を共にし一緒にサッカーをやった仲間をいつまでも忘れずにいてほしいし、気が向いたらいつでも少年団に後輩を教えに来てほしいと思うのだ。

今でも当時の仲間と酒を飲んだり時々サッカーをしたり、そして卒団して30年後にコーチになった私の、ささやかな希望なのである。

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